オールブラックスのユニフォーム歴代のデザインは?最新版にも注目!

今回は、オールブラックスの歴代ユニフォームを調査してみました!

オールブラックスは実に100年以上もの歴史あるラグビーチームです。

選手たちのパフォーマンス向上の為、ユニフォームも時代に合わせてアップデートしてきました。

今回は、そんな歴史あるユニフォームの歴代デザインに注目していきます!

2022年からの新デザインのユニフォームも、是非ここでチェックしてみて下さいね。

 

オールブラックスのユニフォーム歴代最初のデザインは?

オールブラックスの最初のユニフォームがどんなものだったか、ご存知でしょうか。

実は、オールブラックスが海外で初めて着用したユニフォームは黒ではなく、青色でした!

さらに、胸元に輝く銀色のシダのエンブレムは金色だったのです!

1884年の初の海外遠征となったオーストラリアでの写真がありました。

写真は白黒なので、色まで確認できないのが残念ですね。

現代と比べると、首周りや袖の長さがとても個性的なデザインであることがわかります。

胸元のシダの刺繍も、正確な大きさの刺繍が施されていたそうです。

オールブラックスのロゴの意味については以前解説したとおりですが、正確な大きさのものが刺繍されていたとなると、結構な存在感になりそうですよね。

 

その後、1888年から1889年にかけてイギリスとオーストラリアへの遠征では黒を着ています。

どうして青から黒にシフトチェンジしたのでしょうか?

理由としては、「青よりも黒が入手し易かった」とも、「汚れが目立たないから」とも言われています。

 

そして初の海外遠征から9年後の1893年。

オールブラックス初の公式ユニフォームが登場しました。

当時のオールブラックスのキャプテン、トーマス・ランギワヒア・エリソンが考案。

  • 黒地に銀色のシダの葉がついた黒のシャツ
  • 銀色のモノグラムがついた黒の帽子
  • 白のニッカーボッカーズと黒のストッキング

 

この3点が、ニュージーランドのラグビーフットボール協会に提案されたと記録に残っています。

ニュージーランドの実力が世界を震撼させ始めた頃。

黒と銀はニュージーランドのナショナルカラーとして、人々の間に定着していきました。

その後1986年、「オールブラックス」という名称と銀色のシダの紋章が法的にも登録されました。

 

ちなみに、1905年に正式なユニフォームとして登録されたものの画像を見つけたので、紹介しておきます。

確かに、シダの刺繍が存在感を際立たせていますよね。

 

 

1905年にイギリス、フランス、アメリカを巡業した時に着ていたユニフォームです。

当時のユニフォームはウール100%で編まれており、シダのロゴも金色ですね。

ちなみにこの頃のユニフォームはかなりの高値でオークション取引されています!

第一次世界大戦で戦死したスキッパー、デイブ・ギャラハーが着用していたユニフォームは、2015年のロンドンのオークションで、18万ポンドという値段で取引されました。

 

1924年に支給されたユニフォームは、農夫の作業着のようなものだったと表現されています。

首元がレースアップされたデザインで、巨大な銀のシダがあしらわれています。


ニュージーランドのパーマストン・ノースには、ニュージーランド・ラグビー博物館があります。

ビクトリア時代後期から現在までのユニフォームや記念品が展示されています。

1年の内361日間開館していますので、オールブラックスファンであれば一度は行ってみたいですね!

 

オールブラックスのユニフォーム歴代W杯のデザイン紹介!

オールブラックスの歴代ユニフォームは、時代とともに進化していきます。

それが顕著に見て取れるのは、W杯のユニフォームではないでしょうか。

ここからはW杯の時系列に沿って、ユニフォームの進化を確認していきましょう。

 

1987年W杯ニュージーランド/オーストラリア大会

写真は、歴代人気キャプテンでも紹介したウェイン・”バック”・シェルフォードです。

歴代ハカリーダーでもある彼は、第1回W杯に出場しています。

ユニフォームはコットン生地で袖も長め、パンツは紐で調整するタイプです。

「黒いユニフォームを着る日は毎日が本当に幸せだった」と、シェルフォードは回想しています。

 

1991年W杯イングランド大会

第1回から4年後、第2回W杯が行われました。

Steinlager(スタインラガー)のロゴが入っていますね。

ニュージーランドの代表的なビールメーカーで、オールブラックスのメインスポンサーです。

 

1995年W杯南アフリカ大会

実はこの第3回W杯までが、カンタベリーによるユニフォームになっています。

ニュージーランド発祥のカンタベリーは、オールブラックスとともに技術を磨きました。

今や世界のラグビーユニフォームにカンタベリーが採用されています。

 

1999年W杯ウェールズ大会

一気にデザインが変わりましたね!

この年から、ユニフォームのスポンサーがアディダスにかわります。

アディダスはハイテクで軽量、フィット感のある合成繊維のユニフォームを開発しました。

 

2003年W杯オーストラリア大会

こちらの写真は歴代ハカリーダーの中で、初のマオリの血筋ではないタナ・ウマガですね!

ユニフォームのフィット感が少し変わってきているのがおわかり頂けると思います。

アディダスは毎年少しずつ改良を加え、選手のパフォーマンス向上のために尽力しています。

 

2007年W杯南アフリカ大会

元オールブラックス主将のリッチーマコウの家には、ユニフォームが飾ってあるそうです。

それは、最初にプレイした時のユニフォームだそうです。

サイズはどんどん変わっていき、「当時とおよそ3倍くらいの大きさの差がある」とのことでした。

 

2011年W杯ニュージーランド大会

2011年は襟が白くなりました!

ニュージーランドが第1回W杯ぶりにW杯を制した、歴史に残る記念すべき年です。

黒一色も素敵ですが、襟の白色が映えてこれもとても格好良いですよね。

 

2015年W杯イングランド大会

アディダスは2015年、これまでのユニフォームと一線を画す大規模な改革を起こしました。

フィット感、質感、美しさを徹底的に追求したのです。

製作には最新のカーボンウィーブテクノロジーと、流線型のシルエットが採用されました。

胸元のシダのロゴも、それまでの白からガンメタルグレーになっています。

「オールバックス史上最も黒いユニフォーム」として話題になりました。

また、この年から初めてジャージー素材を使用したショーツが採用されました。

 

2019年W杯日本大会


2017年には、質感がより素肌に抵抗がない”第二の皮膚”と呼ばれるユニフォームが開発されました。

選手からの意見を元に、ストレッチ素材「トライアックス・デジタル・ウィーブ」を採用。

さらに「シャーシテクノロジー」を搭載し、強度・動きやすさ・選手の姿勢を向上させました。

更に2年後の2019年、人間工学にもとづいてシームレスウーブンジャージが登場します。

選手の体格に完璧にフィット、縫い目をなくし、ジャージは25%軽量化を実現!

これにより選手ののスピードと加速を向上させ、より良いパフォーマンス向上が期待されました。

ユニフォームにアディダスの3本線がない謎でも紹介しましたが、この時のデザイナーは日本の山本耀司です!

 

オールブラックスのユニフォーム最新版を紹介!

 

2012年からのオールブラックスのユニフォームには、胸元にAIGの文字がありますね。

これはAIG損保という保険会社がスポンサーであるため、このデザインになっています。

AIGといえば2019年W杯日本大会を記念して作られたCMが秀逸すぎて、人気を博しましたよね。

 

AIGとは2012年から契約をしてきましたが、今年、その契約を終えることになりました。

Altradとの契約が新たに結ばれ、その期間2022年から27年までの6年間と言われています。

胸のロゴが「ALTRAD」になったユニフォームのデザインになりますよ!

 

オールブラックスのユニフォーム歴代まとめ

オールブラックスの歴代ユニフォームを調査しました。

長い年月をかけて、歴代のユニフォームも選手と共に進化し続けてきました。

そしてアディダスは機能性と同じく、そのフォルムの美しさもこだわっています!

選手の体格、上腕二頭筋に注目を集め、黒の力強さが引き立つようにデザインされています。

初めて敵に対峙した時に心理的に優位に立つことで、試合の空気を掌握するという考えです。

これからもオールブラックスの活躍と共に、ユニフォームにも目が離せなくなってきましたね!

 

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